げんこつ屋 ストーリー


1980年4月、新高円寺にそれまでのラーメン店とは一線を画したコンセプトとクオリティを兼ね備えたラーメン店「げんこつ屋」はオープンしました。

当時、「脱サラしてラーメン屋でも」という時代に、創業者 関川清が料理としてのラーメンを目指し、地鶏やマグロ節など素材にこだわったラーメンや、ラーメン店とは思えない内装・デザインにこだわった店舗を生み出し、高円寺に行かないと食べることのできないラーメンとしてファンを増やしていきました。

「げんこつ屋」の屋号の一部である「げんこつ」には「大切なものはげんこつで握りしめる・・そのげんこつで握りしめたものを次世代に伝えていきたい」という関川の想いが込められています。
そしてその想いは、1989年「げんこつ屋 渋谷プライム店」のオープンにより首都圏に知れ渡りました。完成度の高いラーメンに世代を問わず多くのお客様が訪れるようになったのです。


1994年、世界初のフードアミューズメントパークとして誕生した「新横浜ラーメン博物館」に「げんこつ屋」は東京代表として出店。「げんこつ屋」の名は首都圏のみならず全国に知れ渡ることとなりました。
関川氏は当時22歳の息子、関川匡仁を新横浜ラーメン博物館店の店長として抜擢し、関川がこれまでに培った知識、技術、そして想いを全て匡仁に伝承しました。

新横浜ラーメン博物館卒業後、2002年には17店舗まで店舗を増やし、名実ともに有名店となりました。関川は更なる質の向上を目指し、約8億円を投じて、水などの素材にこだわりを持った工場を設立しました。

しかし、その後の不況や低価格ラーメンチェーン店の台頭も重なり、2007年には、ついに閉店することを決意。「げんこつ屋」の歴史は27年で幕を下ろすこととなってしまったのです。その後、関川氏は体調を崩し他界。「げんこつで握りしめたものを次世代に伝えていきたい」という関川の志は途絶えてしまったのです。


「げんこつ屋」が幕を閉じてから3年経ったある日、ラーメン博物館担当者が匡仁と再会。匡仁は、父親が歩んだ創業の苦労を経験しつつ、「げんこつ屋」の味に磨きをかけたラーメンを作り続けていたのです。

そこで、ラーメン業界に多大なる影響を与えた店舗の復活という新横浜ラーメン博物館の意義と、「まだまだ父親の域には達していないが、ようやく父親の志を伝えていく時期が来た。」という匡仁の想いが合致し、「げんこつ屋」閉店、関川が他界して4年後の2011年、新横浜ラーメン博物館で「げんこつ屋」が復活を迎えることとなったのです。

その8年後、「二代目げんこつ屋」を開店し、現在に至ります。

営業日時

年中無休
11:30~22:00